石窯の歴史

日本で石窯が一般的でない理由

オーブンを必要としない日本の食習慣

日本では石窯で調理を楽しむ文化はほとんどありませんでした。
実は、石窯の利用と食習慣には深い関係があります。

日本では元々パンを食べる習慣が無く、コメを主食としてきたという特徴があります。お米を焚くためには、鍋に米と水を注いで茹でるというだけでできてしまいます。石窯などのオーブンは必要ありません。
肉の調理法としても、クリスマスなどの特別の日にクリスマスプディングを作ったりローストチキンを丸焼きにしたり、ローストビーフを焼くような、オーブンを必要とする食習慣はありませんでした。

日本史を振り返ると、仏教伝来とともに菜食文化が入って来ました。675年に最初の食肉禁止令が出されています。仏教文化は遠くインドを発祥地として、中国を通って極東日本にやってましたが、シルクロードの最果てである日本において食肉禁止が根付きました。

このように日本では肉食が途絶えたために、当然に肉の調理方法も発達しませんでした。日本で石窯の利用が一般的でないのは、食文化のバックグラウンドがかなり異なることが原因のようです。

石窯の誕生

石窯はパン焼きとともに誕生

パンが初めて焼かれたのは、紀元前8500 年ごろの新石器時代にまでさかのぼります。

古代エジプトのパン焼き場所はパレスチナ周辺。そもそも小麦の起源はこの周辺地域です。当時のパンは、小麦を製粉した後に、水でこね、その塊を火の近くにかざしたり、あるいは熱した平らは石の上に置いて焼いたのが始まりです。そのころは、「ナン」や「チャパティ」のように薄いものだったようです。

同じように、紀元前3000 年ごろのエジプトの古代王朝でも、小麦の生地を壺に入れて、それを熾火(おきび)にかけている様子が描かれています。さらに時代が経って中期王朝時代では、円錐状(ソフトクリームのような状態を想像してください)のトウモロコシの生地が、薪をくべた火床の上に置かれて、放射熱によって焼かれている様子が描かれています。紀元前16 世紀~ 11 世紀になると、王室のパン焼き人が、陶土でできた円錐状の窯の内側に、生地を貼り付けている様子が描かれています。それは煙突のように上部に穴が開いていて、タンドーリ窯の内側にナン生地を貼りつけて焼くのと同じように、生地が焼けるまでは内壁に貼りつけておくという方式でした。

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石窯の進化

壺タイプの石窯
上部から生地を入れて焼き上げる壺タイプの石窯は、古代文明の発祥地では比較的一般的なものでした。

フロントローディングタイプの石窯
さて、現代の石窯はいわゆる「フロントローディング方式」。つまり石窯の開口部は火の上ではなく、火の横方向にあります。このような、現代では一般的な石窯は古代ギリシアで誕生しました。古代ギリシアではいろんなタイプのパンが焼かれました。パン焼きは職業となり、市民に販売するための商品として発達しました。パンの発達に伴って石窯もバリエーションを増やしてきました。

ローマ人によってギリシアが征服された後も、ギリシアのフロントローディングタイプの石窯はローマ人に使われ続けました。

ヨーロッパ全体での石窯の広がり

ポンペイの遺跡ではローマスタイル(フロントローディング方式)の石窯が発掘されています。ローマスタイルの石窯は、その後ヨーロッパ全土に受け入れられました。中世ヨーロッパの村落には、地域住民が使うことができる共同石窯が設置されました。大抵は洗濯場の近くに設置されましたので、当時は地域住民の日常生活のにぎわいを感じる場所であったに違いありません。この石窯を使うには、使用料を支払う仕組みになっていました。

フランスでの石窯の広がり

フランスの例を見ましょう。フランスの一部の地域では、厨房の煙突フードの下に収まる程度の小型オーブンの設置は許されていましたが、それ以上の大型オーブンを個人で所有することが禁じられていました。当時の藁葺(わらぶき)屋根に着火して火事が起こる危険を恐れてのことでした。フランスでは共同石窯はそれぞれの地方自治体が所有運営していました。
地方自治体が設置する共同石窯は、次第にフランスの植民地にまで広がりました。

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イギリスでの石窯の広がり

イギリスでは、地域住民が共同で使う石窯は導入されませんでした。パン屋でも、それぞれが屋内に窯を設置しました。
現存する旧家や、田舎の農作業小屋には、今でも百年以上の古い石窯が、暖炉の一部として残っている例を見ます。

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